東京司法書士会三多摩支会
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 支会ニュース「アダージョマエストーソ」 第102号 2012,04,29

 ■ 目 次

     福島原発爆発事故被災者の避難先仮設住宅を訪問して交流 参加者の感想・報告文特集
    大熊町の住民の方の身になって考え、思いをはせ続けたい
    本来の笑顔をもっともっと取り戻してもらいたい
    風化させることなく、長期的・継続的な支援をしていきたい
    苦難に耐え忍びながら懸命に生きる皆さんの気概を実感した
 


 平成24年3月3日(土)、4日(日) 福島原発事故で避難した被災者の仮設住宅を訪問

  三多摩支会では、3月3日、4日の2日間、会津若松市にある福島第一原発爆発事故によって全町避難した大熊町の仮設住宅を訪問しました。このときの記事は支会ニュース「アダージョ」101号に掲載しましたが、 このほど、震災被災者支援対策室から参加者の感想文・報告文が数名分寄せられましたので、特集として本号を発行することとしました。101号記事とあわせてご一読ください。
 なお、各報告文のタイトルと写真は編集室で付加したものです。 (HP編集室)

大熊町の住民の方の身になって考え、思いをはせ続けたい(府中 荻島 諭)
1、今回の震災支援事業の概要
 平成24年3月3日(土)から4日(日)にかけて、東京司法書士会三多摩支会の震災支援事業ということで、福島県会津若松市の仮設住宅に相談員として行ってきました。 会津若松市は内陸なのですが、こちらの仮設住宅には、海沿いに位置する双葉郡大熊町(おおくままち)の方々が避難されていました。大熊町には福島第一原子力発電所があり (6号機まであるうち、1号機から4号機までがある)、半径20kmの圏内として、警戒区域にあるためです。
 2日間の流れとしては、3日(土)の午前7時30分に三多摩支会事務局前に集合し、行きのバスでは「震災相談の実務Q&A」という研修DVDを観て、お昼過ぎに会津若松市の仮設住宅に到着、 16時くらいまで戸別訪問、18時くらいまで住民の方々と懇親会でした。次の日4日(日)は、お昼ごろに別の仮設住宅を訪問し、その後、帰路につきました。参加者はおよそ各支部から2、3名といった感じで、若手から
ベテランの方まで、全部で16名のメンバーでした。
2、戸別訪問及び懇親会

(1)戸別訪問
 今回訪問したところは、大熊町の方々が避難されている仮設住宅のうち、長原仮設住宅というところでした。まずは2人1組になり、戸別訪問をしました。私たちの組の担当は、 A棟からD棟まで約100戸入居している中の、A棟約10戸でした。
初対面でいきなり困っていることを伺うのもおかしい感じがしたので、自分たちが福島県の司法書士と協力して相談にのっている
旨、少しだけお話をさせてほしい旨を伝え、お話を丁寧に伺うということを意識してお話をさせていただきました。そして最後に、福島県司法書士会のチラシとティッシュをお渡しして広報するという感じでした。 何らかの法律相談もあるのかなと思ってまわっていたのですが、1回15分くらいお話をさせていただいた中ではそういうものはなく、住む分にはよくしてもらっているが、仕事が見つからないだとか、 大熊町に戻りたいとか、畑いじりをしたいとか、そういったお話がありました。
(2)懇親会
 集会所に20人から30人くらいの住民の方が集まってくださり、懇親会が行われました。全体的に話が弾んでいる感じでした。自分も、戸別訪問で少し感じがつかめた気がしていたので、 この調子で懇親会もがんばろうと50代〜60代くらいの男性の方に話しかけたのですが・・・、今回一番印象に残った場面とな
りました。
「お話をさせていただいてもいいですか?」
「何の?」
「世間話でも・・・」
「何を話せって言うんだ?!」
と、少しおかしな雰囲気になってしまい、そ
の方は不満を話し始めました。
 いろいろやってもらっていることには感謝
はしている 。でも、今は東京電力の賠償の話になっているが、それは他に住んだり、行く所がある人はそれでいいかもしれないが、自分たちのように、 これからどうなるのかもわからないのに賠償の話なんかできないというお話が中心でした。 うわべだけの支援なのか、本気で支援してくれるのか、どっちなんだ?!
とも言われました。どう答えていいかわからず、予備知識も十分ではなかったので、ひたすら聞き続けました。
 自分たちはふだん発言することに慣れていないから、東京電力の説明会等で説明や回答されたことをその場で理解するのも難しいし、それを踏まえた発言をするのも難しいというお話もありました。
 ところどころたどたどしく答えつつもしばらく聞き続けていると、大熊町で生まれて東京に働きに出て、やっぱり大熊町で農業をやりたくて戻ってきたこと、朝3時から仕事をしていたこと、 テレビで珍しい作物を見つけたら種屋に取り寄せさせて、試しに作っては改良していたこと等、大熊町での暮らしぶりを話してくれました。最後には、また来たら寄ってくださいよとまで言ってくれました。 その方がどういう気持ちで、どういうニュアンスでおっしゃったのかはわかりませんが、お話を真剣に伺うことの重要性を学んだ気がします。
 また、その後、自分の中でしばらく整理がつかなかったのですが、住民のみなさんが何を本当に望んでいるのかということに思いをはせ続けたいと思いました。
 あとで聞いたお話ですが、前にも弁護士や行政書士の方も相談に来てくれたが、決まった時間だけ集会所にいただけで、時間になると、もう相談もないようなので帰りますといったようなこともあったそうです。 東京司法書士会三多摩支会のように懇親会まで開いてじっくり話を聞いてくれたのは初めてだというお話
もあったそうです。
3、感想及び謝辞
 大熊町の住民のみなさんが何を望んでいるのか思い続けたいと述べましたが、それは、原子力発電所のことを知ったり、現状を新聞等で把握したりして、大熊町の住民のみなさんの身になって考える、 大熊町のみなさんのことを知ることが大事なのだと思います。次回の震災支援事業も参加するなどして、思いをはせ続けたいと思います。
 また、今回、三多摩支会のメンバーの方々と2日間行動をともにさせていただき、いろいろお話を伺うこともでき、とても有意義でした。戸別訪問前のアドバイスで、 社会問題に立ち向かうには経験と勘を頼りに実戦あるのみ、当たって砕けろだというお話が印象に残っています。
 最後に、今回、このような貴重な機会を設けてくださった東京司法書士会三多摩支会の関係者の方々には、当日だけでなく、地道な関係各所との当日までのやり取りや準備、 段取り等々の積み重ねがあったことと思います。心より御礼申し上げたいと思います。 上へ

本来の笑顔をもっともっと取り戻してもらいたい (武蔵野 松本美姫)
 今回の事業に参加した理由は、大震災から1年が経ってしまう前に一度現地に赴いて自分のできることをしたいと思ったからだ。事前に2度震災についての研修を受講していたが 、直接被災者の方と接してきちんと相談対応できるかについてはやはり大きな不安があった。 しかし、今回の事業が相談メインではなく、不足しているものを届けることとケースバイケースで相談事に対応することであったことから、自分にできる何かを信じて勇気を出して参加した。
 私が担当した家の方々はみな留守だったため、直接戸別訪問での相談対応はなかった。チラシを配りながら仮設住宅を回りながら思ったのは、壁が薄く隣近所との間隔も狭く、プライバシーが保てず、 自分が生活したとしたならストレスで不自由を感じるだろうということ。防寒も不十分のようで、プチプチを出入り口に覆っている家もあった。
 集会場に戻ると多くの方々が既に集まっており緊迫した状況であった。現状や将来についての不安や不満で語気も荒くなり、悲痛な叫びであった。 被災者当事者でありながらメディアを通してしか情報が得られていないという事実には驚いた。被災者の皆さんの強張った表情や声が強く印象に残る。 大変な衝撃だった。これが現状なのだと痛感した。メディアや研修を通じて多少なりとも分かった気でいたが全く分かっていない自分がとても恥ずかしかった。 ある方が仰った言葉、「1週間家族と一緒に仮設住宅で暮ら
してみないと本当の大変さは分からない」と。
 重苦しい雰囲気が続き、果たして予定している親睦会が開催できるのか正直不安であったが、結果親睦会は大成功だった。 最初はどのように交流すればいいのか探り探りだった私だったが、被災者の方と卓球を一緒にしてから一気に打ち解けることができた。 思いがけず手編みの帽子まで頂けた。諸先輩方の協力により私ものびのびと交流することができた。先ほどの強張った表情と違い、たくさんの柔らかで明るい笑顔が印象深い。  
 深刻で苦しみに満ちた表情と柔らかで明るい表情、二つの反した表情は確かに被災者の皆さんの中にある。「私たちは前向きあることを知ってもらいたい」という言葉があった 。被災しなければ持たなかったであろう苦しみの表情が少しでもなくなり、本来の笑顔がもっともっと戻ってもらいたい。
今回の事業に参加して私が何か役に立てたことはあるのだろうかと疑問であるが、実際に被災者の皆さんと交流したからこそ感じられたことを原動力にして、これからの行動に活かしていきたい。 確かな情報を収集するのと同時に、相談の実践も積んで成長しなければならないと感じた。そして今回の仮設住宅をまた訪れる際には必ずや参加し、長期的な支援をしていきたい。
 最後にこのような素晴らしい事業活動に参加させて頂いて本当に有難かった。 上へ

風化させることなく、長期的・継続的な支援をしていきたい(田無 蜷 拓)
 3月3日、4日の2日間、震災支援事業といたしまして、福島県会津若松市の長原仮設住宅及び松永近隣公園仮設住宅を訪問させていただきました。
 今回は、長原仮設住宅の訪問の方が中心となりましたが、長原仮設住宅には、福島第一原子力発電所が立地している福島県双葉郡大熊町に住んでおられた方々が避難されており、 現在、約200棟あるうち、実際に入居されているのが、約100世帯ということでした。
 具体的な活動は、@上記の200棟のA棟からD棟を各班に分かれてそれぞれが個別の訪問をした上で、お悩み事や今後の要望等を聴取する、 A避難されている方々からの要望である卓球台、卓球用具、ミシン、調味料の贈呈をする、B集会所にて住民の方との交流会を開催する、という内容でした。
 @の訪問相談については、私の班では、10棟〜15棟の訪問相談を致しましたが、「今一番困っていることは」という質問に対し、「東電の賠償額が少ない」、 「東電への損害賠償の請求額に対し、実際に受け取ることができる金額が大幅に減らされ、明細書も出してもらっていない」、「東電からの賠償等に関する説明がほとんどない」、 「現実にお金がない」、「戻れないことは分かっているけど、大熊町に戻りたい」、「家族が離ればなれになってしまっているので、家族ともとの生活をしたい」、というような回答が多かったです。
 予想はしていましたが、大熊町特有の問題である原発関連に関する悩み事が多く見受けられました。損害賠償の請求できるのにもかかわらず、面倒なので、あまり積極的に請求されていない方もおられました。 やはり、専門家のアシストが必要であることを実感しました。
 訪問したほぼ全員の方が、1年もの間の避難生活で精神的にも肉体的にも疲れ果てていると思われますが、突然の訪問にも嫌な顔一つせずに、ご対応していただきましたことに、とても感激しました。
 Aの物資の支援については、「とても助かります」、「大切に使わせていただきます」という感謝のお言葉を多数いただきました。
 Bの交流会については、多数の住民の方にご参加していただき、和気藹々とした雰囲気でとても盛り上がりました。本音のご意見をいただき、大変参考になりました。
 「これまで、いろいろな方々に訪問していただきましたが、三多摩士会ほど親身になって話を聞いてくれたところはありませんでした」、「まさかこれほど早急に物資の支援していただけるなんて思いませんでし
た」など、ありがたい感謝のお言葉も多数いただきました。
 今回の支援活動を通じて、思ったことは、震災についての法律相談だけ、という形式的なスタイルで行ったのでは、本音の部分も聞き出せずあまりに杓子定規になってしまうため、 まず司法書士という存在を知ってもらい、強い信頼関係を作っていくことが大切であると実感しました。
 それには、法律の枠にとらわれず、何でもいいので、とにかくお話しを聞く、というところからスタートすべきだと思います。
 以上、ご報告いたしますが、震災から1年が経過し、テレビなどマスコミの
報道回数も減少し始め、東京に居ると震災が風化してきてしまっている感があります。
 避難者の方々の生活が今後さらに大変になってしまうということもお聞きしたので、決して風化させることがないよう長期的な視点から、継続的な支援をして行けるように努力していくべきであることを強く主張します。 上へ

苦難に耐え忍びながら懸命に生きる皆さんの気概を実感した      (多摩 細野隆一)
 去る、平成24年3月3日、この度の支援活動参加のために、各支部所属の司法書士が三多摩支会事務局前に集結した。そして、予定していた時刻の午前8時をやや過ぎた頃、現地に向けて出発。 その後、中央道及び首都高並びに東北道などを経て、途中サービスエリアで昼食をとり、午後2時過ぎにこの度の
訪問先である、会津若松市に到着した。
 現地の天候はさわやかな快晴。仮設住宅に向かう一般道の脇や仮設住宅の周辺には、除雪された大量の残雪が見受けられたが、仮設住宅敷地内は、雪かきを要さない状況であった。 現地到着後、我々は各戸を訪問し、各種のパンフレットを配布した。また、日常生活における悩み事や要望などの聞き取り調査も行った。しかし、住民の一部が大熊町へ一時帰宅しており留守宅が目立った。 そのため、十分な聞き取り調査などを行うことはできなかった。その後、仮設住
宅敷地内にある集会場において、在宅されていた住民の皆さんとの懇親会が開かれた。  
 懇親会では、三多摩支会より住民の皆さんに対し、普段不足しがちな調味料や運動不足解消のための卓球台、そして、特に要望の強かったミシンなどが寄贈された。 懇親会の様子であるが、当初は相互に、ぎこちなく、よそよそしい状況であったが、お酒の量が増えるごとにその場の緊張感も次第に消え去っていった。 そして、最終的には、楽しくにぎやかなひと時となった。しかし、たとえお酒に酔って楽しそうに振舞われている住民の皆さんも、震災や原発事故の話となると表情がくもり、非常に悲しそうであった。 皆さんのお話によれば、仮設住宅での暮らしは、不便なことも少なからずあるとのこと。決して苦痛な日々の連続とは言わないが、我慢すべきことが多く、精神的にはかなり辛い生活であるとのことだった。 尚、仮設住宅の中には、会津の厳しい寒さに十分耐えられるような構造となっていないものもあるらしい。そこで、そのような構造の建物に住む住民は、窓に厚いビニールを1枚貼り付け、二重サッシ構造に似た工夫を施しているらしい。 故郷である大熊町への帰還については、賛否両論あるようだったが、いずれにしても、皆さんの心の中には、一日も早く従前の平穏な日常を取り戻したいという切実な願いしかないように思われた。
 懇親会は、互いの胸の内にある思いを認めた色紙を交換した後、予定の時刻を大幅に経過した時点で終了した。そして、皆さんが見送って下さる中、現地を後にした。その夜は、会津東山温泉くつろぎ宿千代滝という旅館に宿泊した。 旅館千代滝は、震災、原発事故により被災された多くの方々を受け入れ、客室などを提供するなど、日常生活における様々な支援を率先して行ってこられた。 様々に趣向を凝らした温泉を完備し、食事や客室の内容も申し分のない、正に、素晴らしいの一言に尽きる、由緒ある名旅館であった。いつの日か、家族を連れて再び訪れたいと思った。つまり、我々が東北地方の各所を観光し、様々な物品を購入したり、宿泊施設を利用することにより生じる経済的効果が、多くの被災者へ還元されるのであれば、我々は、それらを積極的に行うべきではなかろうかと思う。
 翌日の3月4日は、昨日訪問した仮設住宅の近くにある、松長近隣公園応急仮設住宅を訪問した。今回の訪問は、視察して次回の具体的支援活動につなげるということが主たる目的であった。 したがって、支援活動自体は行われなかった。しかし、現地に出向き、現状を直視することができたのは、大きな収穫で
あった。
 今回訪問した仮設住宅はいずれも、市の中心部から離れたところにあり、端的に不便であると感じた。また、丘の上に建設されていることから、冬の寒さ、特に日が落ちた後の気温の低下は、高齢者にとっては本当に辛いものであろうと感じた。
 視察終了後会津若松を出発、猪苗代湖を経由して帰途に就く。午後7時半過ぎに三多摩支会事務局前に到着、散会。
感 想
 私は、この度の支援活動参加により、被災者らが暮らす仮設住宅を直接訪問する機会を得ました。普段、テレビ報道や新聞などでしか知ることのなかった、仮設住宅の現況や被災者それぞれの事情を直接目にすることができました。 そして、そこに住む皆さんと懇談することができ、皆さんの真意を拝聴することもできました。現地を直接訪問したことで、様々な苦難に耐え忍びながら、 「完全復興」という然るべき時に備えて懸命に生きる皆さんの気概を実感することができました。
 尚、今回は、降雪、積雪のない晴天の中での行程だったので、皆さんに対し、肉体労働的支援活動は全く行えませんでした。 しかし、いつの日か再び、被災地や避難場所などを訪問する機会を得ました際は、微力ながら、私の有り余るエネルギーを余すことなく皆さんへ提供したいと願う次第であります。
 しかし、何よりも大切なことは、我々国民ひとりひとりが、この度の東日本大震災や原発事故という歴史的大惨事において、当事者たるべきことを自覚しつつ、これらから得た様々な教訓を風化させることなく、将来へ繋げて行くことだと思いました。
 最後に、この度、貴重な経験をさせて下さった、三多摩支会社会問題対策委員会委員各位に対し、心より御礼申し上げます。本当にありがとうございました。 上へ