東京司法書士会三多摩支会
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 支会ニュース「アダージョマエストーソ」 第106号 2012,08,05

 ■ 目 次

     福島原発事故被災者仮設住宅を訪問して相談・懇談・交流、 参加者の感想・報告文特集
    いつ終わるか分からない避難生活、今後も継続的な訪問を(全体報告)
    「原発事故さえなければ」の悔しさがにじんだ重たい現実に
    「もういい加減時間をかけすぎている」とストレートな思いに
    「だんだん自分たちのことを忘れられていくのではないか」と不安に
    大きく手を振って見送りに僅かではあるものの支えになれたのではと
                          各報告文のタイトルと写真は「アダージョ」編集室で付加したものです。
 


 平成24年7月7日(土)、8日(日) 大熊町の仮設住宅(会津若松市)を訪問し被災者と懇談

いつ終わるか分からない避難生活、今後も継続的な訪問を (東日本大震災被災者支援対策室)
 平成24年7月7日及び8日の2日間にわたり、福島県大熊町から同県会津若松市の松長近隣公園仮設住宅及び長原仮設住宅に強制避難を強いられた被災者のための支援活動を行った。
1 仮設住宅への戸別訪問
 前回は法律的な相談事を中心に何か困っている事や悩みことがないかを聞いたが、今回は世間話的な会話をしながら、その会話から法律相談になりうる内容であればこちらから引出し、法律的な相談がなかった場合でも、 「会話」によって、一時的にせよ少しでも被災者の心情が和らげば戸別訪問の趣旨に合うので、。訪問と同時に、三多摩支会で「がんばっぺ、大熊町」のタオルや福島県会の作成したリーフレッ
トを配布した。
2 集会所での法律相談
(1)松長近隣公園では雨のなか、お一人からの相談があったため武田会員にて相談に応じた。相談内容は、東電への原発損害請求関連の内容であった。未登記の不動産の損害賠償請求を行ったが、 東電より登記してからでないと応じられない旨の回答があったため、登記手続の方法についての相談であった。
(2)長原でもお一人からの相談があったため舟越会員と神田会員
にて相談に応じた。相談内容は、原子力損害賠償紛争解決センターへの申立てと受理された後の手続き
がどうなるかであった。これについては神田会員の報告を参照して頂きたい。
3 交流会
 前回同様、被災者の方と膝を交えての交流会を開催して懇親を図ったが、今回は、会津卓球協会から会員を2名派遣してもらい、寄贈した卓球台で卓球大会を企画した。被災者の方に楽しんでもらうのも1つの目的であるが、 我々は年に1〜2度しか訪問できないが、地元に「卓球」で繋がるものがあれば、被災者の方も「仮設」の外へ気持ちが向くのではと考えたからである。今後は、そのような地元と被災者との交流の仲立ちも1つの役割化となるであろう。 (編集室追記)左は5月8日付け地元紙「福島民報」に掲載された記事。画像をクリックすると拡大します。
4 最後に
 前回と同じく、今回の福島県会津若松市での活動では、同県大熊町から避 難されてきた被災者の方への法律相談及び生活支援を目的としたが、い
つ終るとわからない避難生活を強いられるに違いない被災者のため、今後は、被災者と地元会津若松との橋渡し的な役割も担うことも必要である。また、会津若松には小規模な仮設住宅は多く点在していることから、訪問活動は定期的に継続して必要がある。
 三多摩支会の会員におかれては、このような現状を把握して頂いたうえで、今後の支援活動に理解と
協力をお願いし、今回の活動の報告とします。
(編集室追記) 7日、対策室員が松長近隣公園仮設住宅を訪問中、支会長は福島県会の中村達也副会長とともに、長原仮設住宅の自治会長の紹介で、会津鶴ヶ城そばにある大熊町役場を表敬訪問した。 あいにく当日は町長不在(当日、野田首相・細野豪志原子力行政担当大臣のいわき市・福島市訪問があった)だったが、 鈴木茂副町長、廣島浩二町会議員(長原仮設住宅に居住で、前回も親しく懇談している) のお二人に暖かく迎えていただいた。 上へ

「原発事故さえなければ」の悔しさがにじんだ重たい現実に(調布 神田清子)
 平成24年7月7日(土)・8日(日)一泊二日で会津若松へ行き、福島原発事故により仮設住宅に避難されてる方々を訪問しました。
 行きのバスの中では『原子力損害賠償請求の実務』のビデオ研修を受講しましたが、その中では特に〈事例検討〉として、具体的な賠償額の計算例を学んだことがとても参考になりました。更に研鑽を積み知
識をしっかり定着させ今後の相談活動に活かしたいと思います。
 昼過ぎに長原仮設住宅に到着し、荻島会員と共に各戸を訪問しました。『がんばっぺ 大熊町』のロゴいりのオリジナルタオルを含むパンフレット等を配布しながらの訪問です。担当した棟の半数以上が空室又は外出中でしたが、 その分お会いできた方との対話に十分な時間が割けました。 事故から1年以上が経ち、仮設住宅なりの生活基盤がそれなりに整っているようで、物に関しては不足しているという声は特にありませんでした。
 一方最も多く聞かれたのは『忘れてもらっては困る』という声でした。‘仮設’ではない、お一人お一人にとってのあたりまえであった普通の暮らし―その再建への希望を見出せないまま、社会の関心が薄れていくことへの切実な危機感が伝わってきた気がします。
 そんななか、お散歩中といった風情のお年寄りに声をかけたところ、仮設住宅の境界あたりの緩やかな斜面に植えられたトマトやきゅうりを見せてくださいました。人のたくましさを垣間見たような感じがして、ホッとしたものです。
 夕方は集会室で懇親会。お酒が入って少し舌も滑らかになり、ご家族と離れ離れに暮らされてる寂しさや不自由のお話も聞かせてくれました。また数ヘクタールの広大な梨園を営まれ、最近ようやく世田谷市場にブランド梨として認知されるようになり、 希望が膨らんだところでの3・11。更に材料から選定して精魂込めて建て、地震ではびくともせず津波被害も受けなかったのに住めない立派なわが家。『原発事故さ
えなければ』の悔しさがにじんだ重たい現実には返す言葉も見つからず、お酒を一口あおっては大きく頷くの繰返しでした。
 その夜は東山グランドホテルに泊まりましたが、思いのほか宿泊客が多い印象で、原発から離れていることで風評被害が少ないのか、あるいは時間の経過により客足が回復しつつあるということなのでしょうか・・・
 二日目は松長仮設住宅で船越会員と相談を受けました。40代ぐらいの女性で、法律相談や説明会に足を運び、6月にようやく原子
力損害賠償紛争解決センターへの申立てが受理されたが、ここからどんな流れで進み、どれぐらいの時間がかかるものなのかという質問でした。相談者は自宅が津波被害を受けた方で、この場合は家屋の損害は原発事故によるものではないとされ、 賠償の対象外とされていることについて強い不満をお持ちでした。というのは津波被害にはあっても、わずかながらも使える家財や思い出の品が残っていたのだそうです。しかし、放射能に汚染されているからという理由で、何も持ち出すことが許されなかったことを考えると、 津波被害にあわなかった方との損害賠償の格差に不公平感がつのり調停の申し立てに立ち上がったとのことでした。しかも、何回目かの一時帰宅の際にはひもでつないで飾り物にしていた大量の5円玉はじめ、これはというものはすべて盗み出されていたというのですから、一層腹立たしくやりきれなさに苛
まれたことと思います。
 実はこの申し立ては同じような境遇、思いを抱く方々9人でしたのだそうですが、相談者の方が代表者になり東京や新潟にも散っている被災者の方々と連絡をとり、まとめたとお聞きし、その行動力とバイタリティーには本当に脱帽です。
 申立人のお一人が90歳を超えていることもあり、少しでも早い決着をご希望とのことでしたので、センターへ定期的に進捗お尋ねの電話を入れることをおすすめしました。
 さてその後は、前回寄贈した卓球台を使って卓球講習会と卓球大会。更に昼食はオードブルを囲んでの親睦会と続きました。とても和やかに打解けてお話ができたのは、やはり2回目という積み重ねの賜物だと感じます。この信頼関係を更に確かなものに育て、 三多摩支会が、被災者の方々の心の支えの一つになれるような支援活動を続けられたら、とても有意義なことだと思います。 上へ

「もういい加減時間をかけすぎている」とストレートな思いに(武蔵野 松本美姫)
 私は3月にも仮設住宅訪問の支援活動に参加した。その支援活動参加を機に、三多摩支会の東日本大震災被災者支援対策室のメンバーとなり、対策室の活動として東京に避難してきている被災者の方た
ちと接する機会があった。東京でやらなければいけないことも沢山あることを実感しているが、やはり現地に赴き行わなければならないこともまだまだあることを忘れてはいけない。
 松長近隣公園仮設住宅の戸別訪問が今回のメイン活動である。ちらしと今回特別に作成した「がんばっぺ福島!大熊町!」のタオルを持って一軒一軒仮設住宅を回り、困りごとはないか、何か必要なものはないかをヒアリングした。
 今の生活での不満点では仮設住宅の狭さが数多く挙げられた。
ある女性は夫婦と中学生の子供の3人暮らしであるが、仮設住宅が1件しか貸してもらえず大変ストレスを感じておられた。一方で実際には住んでいない人がいるのに住民票があることで、複数の仮設住宅を借りられ広々と使っている被災者がいる事実に不公平に感じておられた。 未入居の仮設も数多くあり、役所に問い合わせるも要件に該当せず、他に優先すべき人がいると断られているとのこと。隣に人が住んでいた時はちょっとした音も響いて本当に苦痛だったそうだ。体に変調が生じ、子どもの成績が下がり、もっと快適な住居に移りたいが、 子どもの学校のことを考えるとタイミングが難しいと悩んでおられた。生活の基盤となる住空間、被災者の方が少しでもホッとできるようにこの問題に対処し、被災者間の不公平感を払拭してもらいたいと思った。
 ある男性はこうおっしゃった。「口先だけのことはもういい、大熊町に戻れないことは分かっている、ならばいつどのような形で新しい土地に移転するのか、どのように補償するのか、具体的に明確に示すべき
だ、もういい加減時間をかけすぎている」と。このようなストレートな思いに正直私は衝撃を受けた。しかし、必死で前に進んでいこうとするからこそ、今の曖昧な状況を一刻も早く打破し、具体的な行動を求めていくことは当然のことで、次の段階に移るべき時期であることを教えられた。
 二日目には3月に訪問し、卓球台を寄贈させて頂いた松長仮設住宅を訪れた。懇親会では卓球大会も行ったが、皆さん短期間のうちに急速に上達されており大変驚かされた。私も対戦させて頂いたが
全く歯が立たなかった。次回の訪問までに練習をして、少しはいい試合ができるようになりたいと思った。
 その後昼食を兼ねた懇親会である女性とお話しさせて頂いたが、この女性の言葉が大変心にずんと来た。「被災した気持ちが分かるというが全く分かっていない。あなたは私に対して具体的にどのように手助けしてくれるのか。懇親会は有難いが、いつもそばにいて支えてくれるわけではない。 みんなも今は明るく楽しくしているが、あなたたちが帰った後結局やりきれなさが残る」と。その方は複数の世帯を代表して東京電力に対してADRを試みておられ、自身も大変な思いをしているが他の被災者の思いも背負っておら
れ、今後行方について大きな不安を抱えておられた。正直私は何と答えていいのか分からなかった。答えられなかった。先に相談を受けていた先輩が助け舟を出してくれたが、私は今でも自分は無力であると感じている。 しかし、被災者の方の思いに少しでも寄り添い、何かできるのではと思い行動し、いつの日にか誰かのために具体的な手助けができるようになりたいと思っている。
 今回の支援活動では前回よりも被災者の方たちの本音に接することができ、とても考えさせられる機会を持たせてもらった。二度も
訪問した大熊町を今後も何らかの形で支援し続けられるように私も活動を続けていきたいい。 上へ

「だんだん自分たちのことを忘れられていくのではないか」と不安に(八王子 吉田智)
 私は、今回初めて仮設住宅訪問に参加させていただきました。これまで、被災各地での法律相談会に参加してきましたが、仮設住宅訪問は、それら以上の成果があったものと思います。
 初日は、松長近隣公園の仮設住宅を手分けして、戸別訪問し、翌日は、初日に訪問しきれなかったお宅を訪問しました。どの方も穏やかに対応していただけましたが、話が進むにつれて、顔が曇りだし、正直な気持ちを話してくれたように思います。法律的な問題は、とくに話の俎上にのぼらないため、今の生
活で困っていること、面倒なことをお聞きしたところ、生活環境について、次のようなことを教えてくれました。
・結露がひどい。雨漏りしているほど水が滴る。
・部屋が狭いため、物がどんどんかさばっていってしまう。大熊町に 一時帰宅しても物を持ち帰れない。
・電灯が十分でないため、一日中真っ暗な部屋がある。
・トタン屋根のため、雨音が響いてなかなか寝付けない(訪問初日は大雨でした)
・沿岸部であった故郷と気候があまりにも違いすぎる。
・不動産の賠償基準が定まらないため、今後の生活方針も決まらない(土地所有者)。
・マスコミも震災から1年を経てめっきり減った。
 2日目は、松長近隣公園と前回訪問した長原の仮設住宅へ二手に分かれて訪問しました。私は、松永近隣公園の仮設住宅で初日に訪問しきれなかったお宅に伺いました。前日の大雨と打って変わって快晴
になったせいか、留守にされているお宅が多かったのですが、在宅されている方とはゆっくりお話することができました。そこでは、たとえば、次のような不満を漏らされていました。
・町によって賠償額の基準に違いがあるようで不公平
・住民票を移してしまい、仮設住宅に入れない(住民票を大熊町に戻せない)
 能力も何も不満足な自分が、被災者とお話をしても、具体的な解決をすることはできません。これは相談会に参加したときから、毎回痛
感することです。ただ、これまでの相談会と違って、大きな成果がありました。皆さんが最も危惧していることの一つとして、だんだん自分たちのことを、忘れられていくのではないか、ということです。マスコミがめっきり減ったというのも、そういったことを暗示しているように感じている方もいます。 長原での懇親会では、お別れのときに、被災者の皆さんが涙を浮かべて感謝してくださったのが、印象的でした。だんだん孤立していく自分たちに不安を感じていらっしゃるのです。災害があるたびに言われていることですが、 いつまでも支援の手が絶えないよう、被災地の方に寄り添って、一緒に問題に立ち向かっていくことが、法律家の端くれである私たちの義務であると思われてなりません。  上へ

大きく手を振って見送りに僅かではあるものの支えになれたのではと(町田 尾畑浩)
 この度の東北大震災については、新聞、テレビ等の報道により被害についての凡そのことは見当がついていたが、以前母から、子供の頃関東大震災の揺れを500キロメ−トル離れた富山でも体験し今でも忘れられないほど恐ろしかったと聞かされており、 それならば今回の大地震、さらに30メートルを超える津波の被害とはどんなに凄いものかこの眼で見ておきたいと思っていた。三多摩支会では、東日本大震災被災者支援対策室が会津若松に避難された被災者への支援活動をしているので、この活動に参加し
た。
 事前の三多摩支会の研修では、東京電力の原発事故の損害賠償に関する約20ペ−ジに及ぶ資料を覚えなければならないのには驚かされた。これでは徹夜で勉強をしなければと夜遅くまで勉強をした。しかし俄か勉強では不安が募るばかりであった。
 研修から3日後の7月7日早朝、支会事務局前から福島

宮城県南三陸町2012,5,6撮影
県会津若松市を目指してバスは出発した。出発した時は曇り空であったが目的地に向かうに従い雨は大降りになって来た。途中飯盛山の麓で昼食をとったが、ここまで来ると周りは山に囲まれ空気は冷たく澄んでおり、都会の喧騒を離れ別世界へ来た感じがした。
 昼食後間もない午後1時頃、大熊町の被災者が避難している松長近隣公園仮設住宅の自治会場に着いた。すぐに福島会の役員の方々が来られて挨拶をして下さり、それから自治会長、支会長の挨拶と続き、その後二人一組となって、担当の仮設住宅30軒をタオルを配りながら一軒ずつ現状の聞きとり調査を始めた。 仮設住宅の周りには花やナス、キュウリ、トマトが植わり一見普通の住宅と変わりのない様にも見えた。最初の方の家に立ち寄ると、丁寧に「去年もお出で頂き有難う御座いました。世界中の方からも支援して頂き感謝しています。」と言われた。私には聞き取り調査の経験がなかったので、迷惑だと言
われるのではないかと一抹の不安があったのだが安心した。
 聞きとり調査の結果、多くの方が「困っているのは買物に行くバスがなくて不便なこと」「仮設住宅は隣の声が聞こえてくる」「働く場所がない」「原発事故の被災地を早く買い上げてほしい」「他の場所へ移りたい」等、沢山の要望があり、又政府の対応の遅さにも不満があった。 「震災の当時は沢山のマスコミが来たり取材があったりしたが今はその面影は全くなく忘れ去られたようで寂しいですね」と言われた方もいた。口もきかず黙って去
って行かれた方も少しいらっしゃったが、おそらく震災に対する色々な不満があったのかなと想像した。夕方5時頃に聞き取り調査は終わったが慣れないない仕事なので随分疲れが出た。懇親会後、宿に行き温泉に入ったが、震災に遭われた方々の様々な思いが頭から離れなかった。
 翌日は10時に2班に分かれ1班は昨日回れなかったところを訪問し、もう1班は前回訪問した長原仮設住宅への無料相談に回った。相談は会館の中で行われ二人一組となり受け付けた。損害賠償の事を質問されると自信がなかったので不安があったが贈与登記の相談であったので問題なく回答が出来た。
無料相談は午前中で終わりその後三多摩支会が贈呈した卓球台で被災者の方約30人と我々のチ−ムが試合を行い、一勝一敗と仲良く引き分けたが、一球一球に大歓声が湧き上がり盛り上がった。「卓球台は毎日沢山の人が利用していて有難いですよ」とお聞きし、嬉しかった。 別の部屋では5,6人の方が集まりミシンでバッグを作っておられたが、これが店で売れる程の見事な出来栄えで会員一同驚嘆した。被災者から「お贈り頂いたミシンは本当に有難く大切に使います」とのお言葉を頂き、この言葉に私も胸にジンとくるものがあった。 (編集室追記) 左は6月4日付けの地元紙「福島民報」に掲載された記事。画像をクリックすると拡大します。
 卓球が終わった後懇親会が催された。ここでは被災地に残してきた建物に泥棒が入り現金や大事なものが全部持って行かれたのには困ったと聞き、テレビや新聞での報道では知っていたが、実際に聞くととても寂しい気持ちがした。 その他沢山の苦労話をお聞きしてる間にカラオケが始まり、咽に自信のある方が5,6人歌った後、全員が合唱して閉幕した。
 最後に町議員の方が挨拶をされたが、感激のあまり咽がつまって声が出ず、一同も同じ気持ちとなりシーンと静まった。支会長の挨拶後全員は
 バスに乗った。出発する時に被災者の方全員が出て来られて、「来年も又来てください。お待ちしております」と、大きく手を振り見送って頂いた。
 大熊町は警戒区域内にあるため、津波の被災地等現状を見ることはなかったのだが、今回とても良い経験をさせて頂いたと思う。我々は僅かではあるものの支えになれたのではないのかという気持ちに、全員がなったのではなかろうか。                   上へ