東京司法書士会三多摩支会
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 支会ニュース「アダージョマエストーソ」 第144 2015,03,31

 ■ 目 次
  1. 立川支部の一支部一貢献活動の報告、第8回大山防災ウォークラリーに参加
  2. 武蔵野支部の一支部一貢献活動の報告、介護施設を取り巻く現状の市民公開講座を開催
  3. 『忘れてほしくない! 電気のふるさと 福島おおくま』 大熊町の体験と現状の講演会を開催

 平成26年11月9日(日) 立川支部の一支部一貢献活動、大山防災ウォークラリーに参加 

 11月9日、曇り空の中、午前11時前に大山小学校校庭に集まった人々の人数は軽く500人は超えていたでしょう。 「第8回大山防災ウォークラリー大会」の参加者の面々です。老若男女問わず、ものすごい数の参加者。立川市大山町周辺の防災に対する意識、地域への帰属意識の高さには、ただただ感心するばかりでした。
 午前11時きっかりに、大山小学校校庭より2分間隔で防災ウォークラリーはスタート。 「大山防災ウォークラリー大会」は家族グループ、友達グループ、隣近所グループそして我らの司法書士
グループと、たくさんのグループが西と東のコースに分かれて、防災クイズやゲームに挑戦しながら、地図(コマ図)を頼りに地域の避難経路、約2キロを歩き、再度、大山小学校校庭に帰ってくるイベント。
 司法書士グループは3名1組、2チームで意気揚々とスタート。クイズやゲームをこなしながら、道に迷いながら、景色を楽しみながら、他のグループとおしゃべりをしながら、 幾ばくかの防災意識と幾ばくかの司法書士の制度広報意識を持ちつつ、晩秋の立川の街を散策しました。
 スタートしてから小一時間、避難経路を辿って帰ってくると、大山小学校は非常時に備えての炊き出し会場に様変わり。焼きそば、豚汁、焼き芋の食事が用意されており、参加者全員でなごやかに、 親睦を深めながら食べる炊き出しの食事は、今が防災訓練の最中であることを忘れさせるほどの美味しさであり、楽しい一時でした。
 お腹がこなれると次は、防災訓練の表彰式。クイズやゲームの成果と避難に要した時間を集計してのランキング発表。 残念がら司法書士グループは上位入賞を果たせず、「ここで上位入賞していれば、さらに司法書士をアピールできたのに・・・」と深く反省。と共に「来年こそは!」と次回の「第9回大山防災ウォークラリー」参加を決意して会場を後にしました。
 司法書士の制度広報のために、イベント参加した効果の程はどうだったのかと思い返すと、会話を交わせた人は、ほんの一握りだし、司法書士だと認知させるアピールポイントは三多摩支会のTシャツのみだと、 ごく近くの僅かな人にしか、司法書士を認知させることができなかったかも知れません・・・。 でも、それでも良いような気もしています。司法書士の存在をアピールするためのイベント参加は、結局、継続することが肝心なんだと思いました。 毎年、毎年イベント参加して、少しずつ、少しずつ地域の方々に浸透して行ければいい。そうやって、認知されて行くのが理想でしょうね。地道に活動して、参加実績を積み重ね
て、時間が掛かっても、最終的にはイベント主催者側のお手伝いを担うくらいになれたらいいな!と感じました。 (立川支部長 大石直)  上へ

 平成27年3月1日(日) 武蔵野支部の一支部一貢献活動、市民公開講座を開催 

  平成27年3月1日(日)午後2時から午後4時まで三鷹産業プラザにて、三鷹市民向けにミニ市民公開講座を開催いたしました。
 「どんなところ? 知っているようで知らない介護施設」をテーマに、地元にある特別養護老人ホーム恵比寿苑の施設長を講師としてお招きし、介護施設を取り巻く現在の状況から、事務的なことまで、時間ぎりぎりまで講義していただきました。
 当日は突然の悪天候で予約キャンセルもあり、参加者は想定した人数より少なかったのですが、実際の現場で先頭にたって働いている現役施設長の講義は、内容がわかりやすく、また仕事に対する真摯な気持ちが伝わり、とてもすばらしいものでした。
 今回の市民公開講座は、三多摩支会の一支部一貢献事業の一環としての企画です。司法書士としての法律相談活動以外で、いかに地域に貢献できるかをテーマに考えた末、この企画になりました。司法書士の地域交流及び広報活動の一環として行ったのですが、 いつもの無料相談会とはまた違った形で、地域住民と関われてとてもよかったと思います。こういった活動が、身近な法律家である司法書士の地位向上につながり、なによりも一般市民のために少しでも役に立てれば、幸いと存じます。 (武蔵野支部長 岡本昌巳)  上へ

 平成27年3月29日(日) 忘れてほしくない! 電気のふるさと福島県大熊町の体験と現状

 三多摩支会では、2011年3月11日の東日本大震災後、いち早く当時の支会長の掛け声のもと有志を募って、震災対策に支会として何ができるか検討し、 11年度中には福島第1原発事故によって散り散りに避難させられた被災地・被災者訪問を行い(アダージョ93号94号参照)、 その後12年度以降は「東日本大震災被災者支援対策委員会」を立ち上げ、避難先から仮設住宅へと移った原発立地の大熊町の避難先である会津若松の仮設住宅(団地)
への訪問に重点を置いて、被災者に寄り添う支援活動を行ってきた(アダージョ101号102号106号119号120号127号参照)。 ある時には、一時帰宅に合わせて立ち入り禁止区域である帰還困難区域
に案内していただいたりもした(アダージョ122号参照)。
 震災対策委員会では、3月29日、国分寺Lホールにおいて、午後2時30分から約90分間、『忘れてほしくない! 電気のふるさと 福島県おおくま』と題して、大熊町の避難住民の体験と現状を、広く会員他一般市民に話していただく講演会を企画した。講師とし
て、会津若松にある仮設住宅団地では訪問するたびにお会いし親しくしてきた大熊町町議会議員の廣嶋公治氏にお願いし、チラシにも掲載されているように東京司法書士会、 国分寺市役所のほか国分寺市・立川市・東大和市・武蔵村山市・武蔵野市・国立市・西東京市・東久留米市の各社会福祉協議会に賛同
後援していただいた。
 あいにく午後から雨模様の予報の中、一般市民20人を含め56人の参加があった。企画した委員たちも年度末の時期に当たり多忙で、宣伝広報にあまり時間が取れなく予想ほどには参加者が集まらなかったことが悔やまれる。講師の「忘れてほしくない!」の言葉
が、まさに当てはまるかのような、今の政府の政策からするとやはり年月の経過とともに我々司法書士からも忘れ去られようとしているのではないかと思い知らされる結果となってしまったともいえそうだ。
 会場内には、大熊町の事故前の商店街や町の様子、 そして事故後の廃墟となった町の様子を写した写真も貼られ、また町全体の地図、復興計画のイメージ図などが展示され、参加者にも資料として図面や経過年表、避難者数や町民の避難先人数等の概要が配られた。
 対策委員長の司会で始まり、支会長の挨拶のあと、廣嶋氏の講演に入った。始めにあくまでも私個人、一町民としての体験や見解であって、議員としての発言ではないとの断りを述べられたが、国策として国家を挙げて推進してきた原発の大事故、 いまだ12万人近くの避難生活が続くこの原発大事故に対して国家の総力を投じて対策をとらなくてはならないにも関わらず、その被災者たちが自分たちの思いをはっきりと述べることができない雰囲気の政治情勢となっていることを暗示するような言葉に思える。
廣嶋氏の話はおおよそ以下のようだった(文責:HP編集室)。

 大熊町は町の看板どおり「電気のふるさと」として、原発を受け入れ、利用し利用される、原発と共存共栄の町として発展してきました。事故前人口の11,505人のうち3分の1は原発関連で生活していました。
 地震発生から約40分後、津波の第1波が押し寄せ、自分も15m近くの津波に流され樹木に掴まってかろうじて難を逃れて、集落内の住民の安否確認や救援をしている矢先、夜には避難指示が出たので町はバス50台を用意して西隣りの田村市に全町非難を開始しました。 12日午後、1号機が水素爆発をした時には病院入院患者や介護施設入所者を除いてほとんどの住民の避難が完了していました。
 田村市での避難生活は、学校体育館などでの雑魚寝状態です。回りで要介護者がバタバタ死亡していくのも見てきました。新学期も近いので、町は、学校開設(新学期の小中学校の授業再開)を考え集団移動するしかないと考え、4月3日に会津若松市に町役場機能を移転し、 町民は原発事故で客の来なくなった東山温泉の旅館に分宿することになりました(編集室注:仮設住宅ができて、そちらに移ったのは翌年の秋以降)。
 避難当初は会津若松に避難した人は約6,000人ですが、誰がどこに避難しているかなど分かりようもないほど混乱していました。現在では、会津は寒い、原発まで遠い(従来からの大熊町の作業員が今も通勤している)等の理由で減り続け(代わりにいわき市に移っている人が増えた)2,000人を切っています。
 大熊町のほぼ96%は帰還困難区域です。今、町の一部にある居住制限区域の大川原地区の除染を進めて復興拠点の町づくりを計画していますが、小学校の建設予定はありません。小学校は年間1ミリシーベルト以下でないと造れません。現実的には1ミリシーベルトは無理です。 道路の除染も道路脇1mまでしかやらないし、山は除染しないので、雨が降ればどこかに流されどこかに溜まってしまうのが現実です。(編集室注:年間1ミリシーベルトが、法令などで定める一般人の被曝限度)
 今現在、町民は約10,800ですが、このうち何人戻ってくるかはわかりません。アンケート調査では2013年10月のもので「戻りたい」人は8.6%、2014年10月で13.3%、約1,000ぐらいでしょうか。避難している人の生活支援はどうなっているんだという批判があるのは十分わかっていますが、 それでも、町としては、まずは町の再建・復興を第一に考えていかざるを得ない状況です。「戻らない」人への支援はどうしても後になってしまう。47都道府県中38都道府県に避難している町民がいますが、他市町村に避難している高齢者への支援は現地の社協にお願いしお任せしています。 よその自治体の中に大熊町を作るわけにはいかないので、まずは、「戻りたい」人が戻れる・戻ってもらえる町づくりを考えているということにな
ります。
 今、福島県では、公共機関に勤めている人で精神疾患罹患率が非常に高く、離職率も高い。震災関連死については、これがなかなか認定されなくて、今まで280人ぐらい申請して108人しか認められていません。
 新年度からは、福島県では福島に旅行に来てもらう対策として、旅行者への半額支援キャンペーンをやるそうです。大熊町でも「大熊町ふるさと応援ツアー」を事業として企画しています。帰還困難区域には入れませんが、近くまでの見学
を組み込んだ観光ツアーを予定しています。ぜひ参加してみてください。
 自分たちは、安全神話、絶対的安全神話に洗脳されていました。再稼働についてですが、今の政府は自分たちのような人々のことを考えていません。避難方法・避難計画は市町村に押し付けられています。 被災者がどこに避難すればいいか、どのように逃げればいいかまでを計画立ててからでないと再稼働すべきではありません。決して自分たちのような避難者を出してはいけない。再稼働に絶対反対というわけではありませんが、避難計画のない再稼働には反対です。
 
 途中で、2013年9月に被災者支援対策委員会が帰還困難区域を視察した(アダージョ122号参照)折に写してきたビデオをいくつか会場で放映し、廣嶋氏からも補足説明を受けた。
講演後、2人からの質疑応答があった。
Q 放射能はコントロールされているか?
A コントロールされていません。今でも微量ながら放射
  線は出続けています。人体にどの程度影響がある
  かはわかりませんが。
Q 事故か事件か?
A 事件です。県民はほとんど全員そう思ってるんではな
  いでしょうか。
Q 中間貯蔵施設について。
A 反対です。私の家も施設の範囲に入ります。帰るところがなくなります。反対です。でも、現実的には、
  県内いたるところに黒い除染した土の袋が仮置きされ溜まっているのを見ると、しかたないと考えざる
  をえません。苦渋の決断です。町は復興を諦めていませんから。
 
 政府の原発事故をなるべく大した事故ではないことにしたい姿勢が鮮明になってきている今日、また沖縄に見られる地方の意見には聞く耳を持たない姿勢が露骨になるにしたがって、被災者たちが置き去りにされていくのではないかと不安を感じざるを得ないのは当然だ。 国の支援体制の遅れにもどかしさを感じながら被災者は今日も頑張っている。原発事故、安全神話に踊らされた過去、決して忘れてはいけないだろう。今、再び新たな安全神話を振り撒こうとしている再稼働問題も決して他人事であってはいけない。 (HP編集室)   上へ