東京司法書士会三多摩支会
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 支会ニュース「アダージョマエストーソ」 第153号 2015,11,19

 ■ 目 次
  1. 広報委員会、「第49回日野市産業まつり」で、恒例の相談会を開催
  2. 支会旅行、今年度は東北復興支援をテーマに会津若松の大熊町仮設住宅も訪問

 平成27年11月14日、15日(土、日) 日野市産業まつりに参加し、今年も相談活動

  11月14日(土)、15日(日)市民の森ふあいホールとその周辺において「第49回日野市産業まつり」が開催され、今年も広報委員で「無料相談会」を行いました。
 当日は雨のため来場者が例年より少ない印象でしたが、15日の午後からようやく晴れ間が出て暖かくなり、それにともなって家族連れの来場者が増えてきました。
 例年、相談は屋外に設置されたテント内で行っていましたが、今年は「ふれあいホール」内に設置されたブースで行いました。ホール内のステージ上ではフラダンスやフラメンコ等の各種催しが行われ、また「ご当地キャラ」や「ゆるキャラ」のマスコットが場内を盛り上げていました。
ゆるキャラも相談?  初日14日は、一日中雨で天気が悪かったにもかかわらず、相談場所が屋内だったこともあり、午前中を中心に20名の相談者がありました。15日は午後から天気が回復しましたが、午前中の天気の影響からか相談者は9名とやや少なめでした。
 相談内容は、相続、後見、高齢者問題、不動産の売却、贈与、労働問題、会社、夫婦関係、ブログへの不正アクセス、対人恐怖症(?)等様々でした。相談件数が多かったのがやはり相続に関する相
談で14件、次いで後見、高齢者問題に関する相談が6件もありました。
 最近の相談会の傾向として、後見、高齢者問題に関する相談が年々増えており、司法書士に求められるものも変化してきているという印象を受けました。市民の日常的な問題に対応できる能力を高めなくてはいけないと感じました。
 (広報委員会 瀬貫和広) 上へ

 平成27年11月14日、15日(土、日) 支会旅行で原発事故避難者の仮設住宅を訪問

 毎年恒例の支会員親睦の「支会旅行」が、今年は福島復興応援ツアーとして1泊2日で会津若松の飯盛山や鶴ヶ城に決まった。せっかく会津若松まで行くのであれば、この旅行の1日は、社会問題対策部(東日本大震災被災者支援対策委員会)が4年前から行っている、会津若松市に原発事故で避難してきている大熊町の仮設住宅への訪問(身の回りよろず相談)をしたい、社会問題対策部の会員以外にも見て、体験し、
被災者の声を聞いてもらいたい、被災者に寄り添ってもらいたいとの提案で、旅行の1日目は従来から被災者支援対策委員会が行っている活動を行う、その活動の後の夜から翌日2日目は旅行をしっかり楽しんでも
らうという企画となったようだ。
 旅行参加者は17名、14日朝8時に立川を出発し、10月末に東名から東北道まで全線開通した圏央道経由で東北道に入った。従来の中央道料金均一区間や首都高を通り抜けなくて済む分、30分以上の時間短縮ができるようになった。
 支部旅行や支会旅行となれば、いつも
であればバスに乗るや否や豪快に飲み始めるのだが、今日は午後から仮設住宅の訪問があるので、誰も飲酒に耽る者がいない。やればできるのだ。それでも一応支会旅行であるから、酒なしでも話ははずみ、バス
の中はワイワイガヤガヤで一路会津若松市に向かった。
 あいにく東京を出るときから降ったりやんだりの雨模様だったが、目的地の長原仮設住宅に到着した時はほとんどやんでいた。が、途中からまたかなり激しい雨となった。長原住宅は高台にあるので風も強く、寒い。かつてはここには200世帯を越す被災者が生活していたが、現在は
もう50世帯を割っている。帰還できる見通しのない避難生活が続く中で、狭い仮の住居ではなく生活基盤をしっかり持たないと生きていく気概も失いかけてしまう。それに大熊町のある浜通りと会津地方では気候風土
があまりに違い過ぎ、いわき方面に生活の場を移す人が多いそうだ。現在では会津若松には約1400人(1年前は2000人)、郡山に約1000人(同900人)、そしていわき市には4400人(同4200人)を超える人が住んでいるという。また、県外には2500人(内、東京には290人)の人が避難している。
 2人一組になって個別訪問を開始したが、上記のような理由で空室が多く、かつての賑わいがなく淋しい。いずれ若松市内に点在している仮設住宅も集約していくことになるかもしれないとの話もあった。今のところ
役場機能は会津若松市にあり、いわき市に出張所、二本松市に連絡事務所があるが、町立の幼稚園・小学校・中学校は会津若松市にしかない。町の大半の地域が帰還困難区域に指定され、この先安全に暮らせる見通しが国も東電も示せない状態では、町民としての生活を取り戻せる基盤が崩れかけてしまいそうになる。それでも日々生きて、
へこたれず生活していくには、やはり同郷の人々とのつながりや、周りの人たちの声かけ、励まし、寄り添いが必要だろう。支会の活動が些細でほとんど実生活での支援にはなっていないかもしれないが、誰も責任を
取ることなく、裁かれることもなく、国が過去の出来事あるいは些細な事故として葬り去ろうとしているかのような状況の中で、またメディアや世間の人々の関心が薄れかけている中で、我々の声かけはどうしても必要だと思われるし、原発事故は終わってはいないこと、我々自身がこのことを忘れてはいけないだろう。
 個別訪問中に、今年の春に国分寺Lホールで「忘れてほしくない!電気のふるさと福島県おおくま」の講演をしていただい
た廣嶋議員がお茶でも飲んでいけと声をかけてくれた。翌日の15日は、福島県議会議員選挙のほか大熊町の町議会議員選挙の投票日でもあり、自身の選挙期間中で多忙にもかかわらず、避難生活者の現況、大熊町の現状、大熊町域内での街づくり等いろんな話をしていただいた。
 仮設住宅での住民の方たちへの個別訪問は、およそ2時間で終えた。今回初めて活動に参加する会員も、
旧滝沢本陣
旧滝沢本陣(国指定史跡・国指定重要文化財)
見たり・聞いたり・話したりで感じるところは多かったのはないだろうか。
 その後は今宵の宿、猪苗代湖岸に向かった。雨は激しさを増してきた。湖岸に建つホテルだが、湖はガスに煙って展望はない。
 翌15日は、飯盛山・鶴ヶ城を見物するグループと近くの山を散策するグループに分かれて行動する予定だったのだが、朝になっても激しく降っているので、全員飯盛山と鶴ヶ城だけを見学することとなって、ホテルを出発。
 ところが飯盛山に着くと小降りになってきた。ここで約4名が幹事さんの予定を逸脱して、あまり観光客の行かないコースに行ってしまった。飯盛山はかの白虎隊が自刃したことで有名だが、その近くには、会津藩主
が参勤交代で休息した滝沢本陣がある。国指定の重要文化財である。白虎隊がここで命を受けて出陣した場所でもある。戊辰戦争の折にはここで官軍との激しい戦があり、柱や壁板には刀傷や弾痕が今も残っていた。
 飯盛山から南に2km行くと山の斜面に近藤勇の墓(京都から土方歳三が遺骨を持ち帰った)がある。今でも献花が絶えない。この周囲には、会津藩士だったらしき人々の立派なしかし古い墓が山の斜面に点在している。そしてこの場所から鶴ヶ城が一望できるのである。死しても城に忠誠を尽くすのだろう、決して死しても城から監視されているのではないだろう。 
近藤勇の墓
天寧寺裏手にある近藤勇の墓
 天寧寺境内を抜けてさらに南に向かうと、会津藩家老西郷頼母の屋敷(戊辰戦争で焼失)等を復元した会津武家屋敷がある。全部を見て回ると1時間以上かかるので、ここは入口を眺めただけで割愛。
甲賀町口門跡
甲賀町口門跡(国指定史跡)
 来た道を少し戻って味噌田楽屋「お秀茶屋」で一服後、鶴ヶ城に向かう道の1本北の道を西進すると、国指定名勝となっている御薬園がある。大名型山水庭園だそうだ。味噌田楽屋で一献し過ぎてここを見学する時間の余裕がないので、ここも割愛。
 さらに西進し、鶴ヶ城からまっすぐ北に延びる道と交差した所を右折すると、すぐに甲賀町口門跡があった。国指定史跡だ。武士の住む郭内と町人の住む郭外とに分け、郭内と郭外の間は深い濠と土塁、16の郭門によって仕切られていたそうで、明治になって外堀は埋められ、ここの城壁だけが現在残っているのだそうだ。
甲賀町口郭門は、城への正門にあたる大手門として高石垣がつくられ、他の郭門よりも厳重な構えになっていたという。石垣の巨大さには驚きだ。戊辰戦争では最大の激戦地になったという。
 さて、引き返してまっすぐ南下すると西郷頼母邸跡を過ぎて鶴ヶ城に突き当たる。幹事さん率いるみんなとジャスト時間通り合流できたのであります。歩いた歩数は12000歩、いい運動になりました。惜しむらくは内濠の西側にある藩校日新館天文台跡や八重生誕地碑まで足を伸ばせなかったこと、旅先で真昼間、長時間の一献はなりませぬ。 (HP編集室)  上へ